言語文化教育研究学会:Association for Language and Cultural Education

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第14号(2017年3月27日)

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言語文化教育研究学会メールマガジン 第14号
ALCE: Association for Language and Cultural Education

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■ 第14号:もくじ ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
--◆◇学会事務局より◇◆----------------------------------------------

第3回年次大会「言語文化教育のポリティクス」(2017年2月,関西学院大学)
御礼

--◆◇【12月17日(土)実施】月例会報告◇◆----------------------------

社会とつながる日本語教育を「見える化」するために
—あいあい×ムサビプロジェクトのドキュメンタリー映像から—報告

三代純平(武蔵野美術大学)
首藤 なずな(武蔵野美術大学 芸術文化学科 3年)
福村真紀子(「多文化ひろば あいあい」代表)

--◆◇【1月28日(土)実施】月例会報告◇◆-----------------------------

第3回年次大会「言語文化教育のポリティクス」プレ企画
—わたしたちは何と闘っているのー報告

岩崎浩与司(早稲田大学)

--◆◇【2月3日(金)開催】特別企画報告◇◆----------------------------

特別企画 竹田青嗣氏講演会「言語ゲームと人間」報告

稲垣みどり(早稲田大学)

--◆◇【2月9日(木)開催】月例会企画報告◇◆--------------------------

田島充士さんとの対話
—バフチンおよびヴィゴツキー理論と言語文化教育—報告

佐藤正則(山野美容芸術短期大学)

--◆◇おしらせ◇◆----------------------------------------------------

【投稿募集:5月末締切】『言語文化教育研究』第15巻の投稿募集

【全文公開中】『言語文化教育研究』第14巻

【発表者・参加者募集:4月1日受付開始】
 第4回研究集会 クリティカルとは何か

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◆◇学会事務局より◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

第3回年次大会「言語文化教育のポリティクス」(2017年2月,関西学院大学)
御礼

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2月24・25日の二日間に渡って開催されました第3回年次大会には、両日合わせ
167名の方にご参加いただき、盛会のうちに終えることができました。

当日参加してくださった皆様、後援・協賛をいただきました学会・企業各位、
会場を提供してくださった関西学院大学様など、本大会開催にあたってご協力
をいただいたみなさまに厚く御礼申し上げます。

来年度の第4回年次大会は、今年度に引き続き関西地方(2018年3月,立命館大
学)での開催が決定しております。

引き続き、来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

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◆◇【12月17日(土)実施】月例会報告◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

社会とつながる日本語教育を「見える化」するために
—あいあい×ムサビプロジェクトのドキュメンタリー映像から 報告

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◆三代純平(武蔵野美術大学)◆

学びとは何か。そんな問いと向きあい始めたのは、今から15年近くも前の実践
と研究がきっかけだった。そのころは、まだ実践研究ということばを真剣に考
えたこともなかった。実践して、その振り返りを研究という形で言語化する。
言語化する過程で考えたことを次の実践に反映させる、ということは自然に繰
り返していた。

僕は当時、韓国のある外国語高校で日本語を教えていた。初めて専任として教
えた場所であり、今から思うとなんとも青臭いが、必死だったと思う。赴任し
たばかりでコトの経緯もよくわからなかったが、私立高校の教員組合と理事が
教育方針をめぐって対立し、生徒自身もその対立に加わるという構図だった。

ある日、学校に行くと、教室の机といすが校庭に積み上げられていた。今思え
ば、現代アートのような光景だった。多くの教員と生徒は授業をボイコットし、
心配した親たちは、子どもを転校させていった。たった1か月でクラスは半分
以下になった。やがて事態は収拾し、授業が再開された。自分たちの主体的な
学びを取り戻そうとしていたはずの生徒たちだが、なんとも授業に身が入らな
い状態だった。そこで、自分たちが本当に学びたいことをプレゼンさせた。

韓国の教育に対する不満や、自分たちの個性を尊重したカリキュラムの必要性
とそのための授業プランが発表された。クラスで投票し、上位のものをベース
に、その後の日本語の授業を組み立てた。何ともむちゃくちゃだが、楽しかっ
た。まあ、若気の至りというか、必死だったというか。

僕は、この実践をボイコット云々の件を書かずに、フレイレなどの議論をベー
スに批判的日本語教育という文脈で論文化した(三代,2005)。最初、どのよ
うな力がついたのかデータから証明してほしいという査読コメントをもらった。
無論、査読者は、僕が直面していた状況を知るわけもなく、ある意味、正統な
コメントだったのだろう。だが、僕には、それがあまりに的外れなコメントに
思えて仕方がなかった。彼らにどんな力がついたかをデータから実証するとい
うのが、自分が置かれていた状況とそこで生徒たちと必死にあがいていた日々
とあまりにかけ離れていて、そのリアリティのなさに、教育とは何か、研究と
は何か、と問わずにいられなかった。

あれから随分時間が経ってしまった。まだあのときの答えは出ていない。だが、
その答えの一つの可能性として、映像で実践を見てもらい、それについて議論
するというものがあるのではないかと、ここ数年考えていた。今回、いろいろ
な偶然が必然のごとく重なり合い、実践をドキュメンタリー映像という形で残
すことができた。そして、それを月例会で視聴し、議論するという機会を得た。

学びと学びの共有を考えるうえで、この形の可能性をしばらく探ってみたい。
ちょっと思い出話に終始してしまい恐縮だが、映像化と映像による実践の共有
については、改めて言語化していきたいと思っています。当日、ご参加いただ
き、貴重なコメントをくださった方々に心より感謝申し上げます。

文献
三代純平(2005).韓国外国語高校における批判的日本語教育の試み『リテラ
    シーズ』2(2),pp.19-27

◆首藤 なずな(武蔵野美術大学 芸術文化学科 3年)◆

武蔵野美術大学では出会うことのないような方々と交流をすることができ、と
てもいい経験になりました。発表して感じたことは様々ありますが、まとめる
と主に次の二点になります。

第一に、日本語教育に携わっている方々の、教育現場の記録方法開拓への熱意
です。報告会中、皆さんご自身が実践していらっしゃる教育現場の記録に苦労
していらっしゃるんだなと、感じる場面が多々ありました。そして既にその問
題にずっと前から取り掛かり、独自の記録方法を編み出している方がいらっし
ゃったことにも驚きました。

第二に、映像に対する認識の多様性です。製作者である私が映像を観て感じる
こととは似ていても異なること、あるいは全く違うようなことを研究会の皆さ
んが感じていたように思います。ある対象に無限の解釈がある事は自明ではあ
りますが、製作者としてその事を再確認出来たのは私の中の大きな学びの一つ
です。

映像を観た後のグループ、そして全体でのディスカッションがとてもアクティ
ブに行われている様はエネルギッシュな大人の姿を感じさせ、学生の私にとっ
てとても刺激的でした。そしてその議論のタネ作りに参加できたことをとても
嬉しく思っています。


◆福村真紀子(「多文化ひろば あいあい」代表)◆

本音を言うと、この月例会での発表の趣旨は、私が発信したいこととズレてい
た。

・・・と言ってしまうと、三代さんと首藤さんに申し訳ない。誤解を避けるた
めに結論を先取りする。映像を創るという活動を媒介としてムサビと「あいあ
い」がコラボしたことは、従来の言語教育研究の在り方にでっかい一石を投じ
たと言えるので、本当に素晴らしい経験だった。映像によって、活動の参加者
の声、表情、身体の動きが再生され、活動のライブ感を、映像を見る人たちへ
伝えることができる。メーキングビデオみたいに、舞台裏を視覚的に表すと、
場のつくり手のリアルな息遣いが伝えられる。それらは、紙に印字された小難
しい文字や平べったい写真では到底伝わらない生きた情報である。

このプロジェクトでは新しい研究の手法が学べ、教育者、研究者としての成長
に繋がったと思う。

さて、冒頭の「ズレ」に話を戻すと、今回の「あいあい×ムサビプロジェクト」
を通して、私が人に伝えたかったことは、従来の地域日本語教育の枠を外せた
ことである。地域日本語教育の形は様々であって、枠なんてない、と考える人
もいるだろう。しかし、私はいろいろな教室をこの目で見てきた。その多くは
学校を模倣した、小さな日本語学校のようなもので、「枠にはまった感」は否
めない。それらが悪いとは言えない。実際に市民ボランティアの多くは、貴重
な時間を、日本語を学びたい人たちに割き、一生懸命彼らの学びに貢献してい
る。

しかし、同時にもったいないと思ってしまう。地域に暮らす多様な人たちが、
それぞれの思いや考え、あるいは得意技を持ち寄って交流する絶好のチャンス
なのに、日本語だけを教える—教えられる場にするなんて・・・。

この話は長くなるので、ここまでにして、「地域日本語教育の枠を外せた」と
はどういうことか説明したい。従来の教室は、その教室に所属する市民ボラン
ティアだけで活動が企画運営されることが多いのだが、今回のプロジェクトは、
日野市の組織である子ども家庭支援センターのスタッフ、ムサビの先生(三代
さんのこと)、ムサビの学部生(首藤さんたちのこと)、ムサビの留学生、そ
して地域のオバちゃんである私が、力を合わせて活動を創った。

つまり、地域日本語教育は、日本語を教える市民ボランティアと「学習者」と
しての外国人だけのものではないということが証明できたのだ。このことを、
私は声を大にして言いたかった。

とにもかくにも、三代さんと首藤さん、そして月例会のスタッフの方々には、
このような発表の機会を与えてくださり、心から感謝しています。そして、月
例会に足を運んでくださり、耳を傾けてくださった方々にも心からお礼を言い
ます。

最後に。このプロジェクトは継続します。みなさま、お楽しみに!

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◆◇【1月28日(土)実施】月例会報告◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

第3回年次大会「言語文化教育のポリティクス」プレ企画
—わたしたちは何と闘っているのー報告

岩崎浩与司(早稲田大学)

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今回の月例会は、年次大会のプレ企画ということで、「言語文化教育のポリ
ティクス」について参加者間で自由に語り合うことを目指しました。

今までの月例会と異なり、中心となる話題提供者は立てず、月例会委員の高橋
聡さんと、私、岩崎浩与司が中心になって企画を立てました。従来の月例会で
は、話題提供者がいて、その人の研究内容の一部を紹介するような形が多かっ
たのですが、今回の月例会では中心者が決まっていなかったため、参加者が話
したいときに話すというような、自由なスタイルで対話ができたのではないか
と思います。開かれた自由な対話の一つの形としても面白い試みだったと思い
ます。

統制されていない議論は様々な方向に展開しましたが、その中でも印象的だっ
たのが、「言語教育」の位置づけについての議論です。言語教育がその領域を
言葉の使い方だけに限定し、技術至上主義に流れた結果、言語教育の関係者が
自ら言語教育の立場を低めてしまったのではないかという指摘が議論の中であ
りました。まったくその通りだと思います。

しかし、一方で、言語教育が狭い意味での「言語の教育」ではなく、「人間の
教育」だと言ったときに、「言語教育」の「言語」はどのように位置付けられ
るのか、ということも私の中で問い続けなければいけない問題として残ってい
ます。そうした問いには簡単に答えを出すことより、その問いを通して言語と
非言語の境界を問い続け、既存の線引きを疑い続けることにこそ意味があるの
ではないかと思います。問い続け、疑い続けるために、様々な経験と意見を持
つ他者との対話を続けることが必要になります。月例会という場もそのような
他者と出会う対話の場の一つになることができるはずです。今回私たちは月例
会委員として実験的に企画をしましたが、自由で開かれた対話の場としての月
例会の形が今後も模索できれば幸いです。

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◆◇【2月3日(金)開催】特別企画報告◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

特別企画 竹田青嗣氏講演会「言語ゲームと人間」報告

稲垣みどり(早稲田大学)

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2月3日(金)に早稲田大学国際教養学部の竹田青嗣先生の講演会を開催しまし
た。40名近い参加者が集まり、ALCE主催の講演会としてはかなり盛況でした。
講演のタイトルは「言語ゲームと人間」、1時間の講演の後に30分の質疑応答
を行いました。講演の前半は、「現象学とは何か」というテーマで、難解なフ
ッサールの現象学をわかりやすく解説をしていただきました。後半は「言語ゲ
ームと審級の生成」というテーマで、母子の始発的言語ゲームによって、人間
には「善悪」の審級(何が「よい」ことで何が「わるい」ことなのかの規範)
が形成されるというお話しでした。

現象学は、主観と客観が一致するのか否か、という認識問題に端を発します。
すべての認識は相対的で「正しい認識」はあり得ないのか?数学などの自然科
学には誰もが納得し得る「解」はあるものの、人文科学の分野ではどうなのか?
「善悪」「正と不正」がすべて相対的で「正しい基準」がそこにないとしたら、
すべては力の論理に帰するのか?そのような問いから始まり、現象学の思想の
中核となる「現象学的還元」の思想を、竹田先生が何年も想を練られて作成さ
れたパワポの図を駆使して解説していただきました。現象学的還元の思想をこ
こで一言で説明するのは困難ですが、要は事物が先立って存在するのではなく、
事物を観ている自己の主観の信憑性を問題とする、つまり「一切は主観の確信
だと考えよ」が現象学的還元の意味するところであるとのお話しでした。

そこから、次のような竹田現象学のエッセンスをお話しいただきました。

絶対に正しい真理や世界認識は存在しないが、「正しい世界認識」がまったく
存在しないのではなく、ある領域では可能である。価値観、審美性には本質的
な多様性があり、共通了解(認識)可能な領域と可能でない領域とがある。そ
の区分は確定できる。世界認識についての信念対立を克服するには、まず世界
観、価値観についての相互承認を受け入れ、その上で、共通ルールを創出せね
ばならない。これ以外に信念対立を克服する原理は存在しない。世界認識の問
題の本質は、いかに「真理」を見出すかではなく、いかに「信念対立」を克服
するか、にある。

後半の「言語ゲーム」の部分は、竹田先生が現在執筆中の欲望論の内容に重な
るものでした。まず、母(養育者)と子の始発的言語ゲームを、子どもの成長
段階に沿って、次の4段階で説明していただきました。

① 要求-応答関係 「能う」としての「泣く」一方的言語ゲーム
②「笑み」「笑い」「あやし」「せがみ」「あそび」
   ⇒身体エロスから「関係感情」のエロスへ
③「禁止」の登場→逆要求-応答関係→「よい-わるい」の分節
④ 相互的言語ゲーム「よい-わるい」規範→順守・抵抗・反抗・抗弁・理由づ
   け・正当化(うそ)
   ⇒「よい子」規範の内面化へ

そのうえで、上記の4段階をもとに、人間が「善悪」の審級を内面化していく
過程を分かりやすく図解で説明していただきました。

質疑応答の時間は、現象学のそもそもの認識問題についての問いや、信念対立
を乗り越えて共通ルールをたてるためにはどうしたらよいのか、という問いが
フロアから発せられました。言語教育の実践者としての立場と、哲学の原理を
指し示す哲学者の立場の違いを際立たせた質疑応答の時間でもありました。遠
方から来場された参加者もいらっしゃり、時間ぎりぎりまで活発な質疑応答が
展開されました。講演会終了後も、その後の懇親会に議論の続きは持ち込まれ、
竹田先生を中心に白熱した議論が続いたのでした。

言語教育の実践・研究をやりつつ、国際教養学部の竹田青嗣先生の現象学のゼ
ミに昨年秋から約半年参加させていただいた筆者には、竹田現象学の思考原理
は言語教育の場面で議論される多文化共生の議論や年少日本語教育の議論と重
なる部分が多々あるように思われ、それが今回の講演会を企画した主旨でした。

質疑応答の時間に活発に展開した議論から、その筆者の感じ方は当日の参加者
に共有されたことを実感しました。現象学的な思考の枠組みを言語教育の実践
研究にどのように応用していくか、今後も現象学の勉強会などの企画を通じて
考えていきたいと思います。

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◆◇【2月9日(木)開催】月例会企画報告◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

田島充士さんとの対話
—バフチンおよびヴィゴツキー理論と言語文化教育—報告

佐藤正則(山野美容芸術短期大学)

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2月の月例会企画では、教育心理学・臨床心理学の立場からヴィゴツキーおよび
バフチン研究を展開している東京外語大学准教授の田島充士さんをお招きし、
田島さんの2本の論文(末尾を参照)をたたき台に、バフチンおよびヴィゴツキ
ー理論と言語文化教育について、参加者全員で話し合いました。平日の夕方で
あるにも関わらず、参加者は20名を超え、バフチン及びヴィゴツキー理論に対
する関心の高さが伺えました。

初めに田島さんから30分程、バフチンおよびヴィゴツキーについて、自由に語
っていただきました。その後、参加者全体で自由に議論していきました。様々
な問題が議論されましたが、特に以下のような話し合いがありました。

1)子供の「分かったつもり」の学習は必ずしも悪いわけではない。「分かった
  つもり」(内化されていない理解)を超えて、学習内容を内化できれば有意
  義な学習になる。
2)「分かったつもり」(言葉主義)を超えるには、他者との対話、協働、経験
  などによって、他者の世界を内化させることが重要である。また、他者(例
  えば教師)の情動も「感染」することによって内化される。
3)内化された学習や情動によって人格が形成されると考えられる。

そのほか、バフチンやヴィゴツキーを当時のロシアの社会的文脈の中で位置づけ
ることの重要性、第2言語習得と科学的な学び(学校で言語を学ぶ意味)、バフ
チンの対話原理、バフチンと他の哲学者、文学者の関係等、様々な議論が起こり
ました。

2017年度秋にはバフチンに関する田島さんの単著が出版される予定です。月例会
では再度、田島さんをお招きし、講演会を企画する予定です。皆様どうぞお楽し
みに。

【田島さんの論文】
田島充士(2014).ヤクビンスキー・バフチン・ヴィゴツキーの論にみるモノロ
  ーグ・ダイアローグ概念の展開——社会集団の斉一性と人格の独自性とをめ
  ぐって『ヴィゴツキー学』別巻3,1-20.http://hdl.handle.net/10108/87544
田島充士(2016).言葉の理解およびその教育可能性をヴィゴツキー・内言論か
  ら捉える——スタニスラフスキー・ポドテキスト論を補助線として『ヴィゴ
  ツキー学』別巻4,45-57.http://hdl.handle.net/10108/87545

◆◇おしらせ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

━【投稿募集:5月末締切】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『言語文化教育研究』第15巻の投稿を募集しています。

投稿締切 :2017 年 5 月末日(12 月刊行予定)
詳細情報 :言語文化教育研究学会 Web サイト :https://alce.jp/journal/
書式・分量:学会テンプレート使用・30 枚以内 ※詳細はホームページを参照
投稿先:submit@alce.jp(『言語文化教育研究』編集委員会)
問い合わせ先:(言語文化教育研究学会事務局)

https://alce.jp/journal/dat/v15.pdf

━【全文公開中】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆『言語文化教育研究』第14巻 特集「多文化共生と向きあう」

2016年12月30日公刊:https://alce.jp/journal/vol14.html

━【発表者・参加者募集:4月1日受付開始】━━━━━━━━━━━━━━━━

第4回研究集会 クリティカルとは何か

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「学習者の批判的能力を育てる活動」
「クリティカルシンキングを促す」
「実践を批判的(クリティカル)にふりかえる」

このように「批判的」や「クリティカル」ということばをよく見聞きしますが、
そもそも批判的やクリティカルとはどういうことなのでしょうか。今回の研究集
会は合宿形式で行い、1泊2日にわたってこのテーマについてみんなで一緒に考え
たいと思います。研究集会には哲学・教育学者の苫野一徳氏(熊本大学教育学部)
をお招きし、本質的思考という観点から「クリティカル」について考えます。参
加者には事前に苫野氏の『はじめての哲学的思考』(2017年・ちくま書房)を読
んでいただき、研究集会で苫野氏を交えてみんなで議論します。

●日程:2017年12月9日(土)・10日(日)
●会場:ホテル熊本テルサ(熊本県熊本市)
●発表応募締切:2016年5月31日
●詳細:https://alce.jp/meeting/p4.html

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誌 名: 言語文化教育研究学会メールマガジン 第14号
発行日: 2017年3月27日
発行所: 言語文化教育研究学会 事務局
     〒187−8505 東京都小平市小川町1−736
     武蔵野美術大学鷹の台キャンパス三代純平研究室内
編集,発行責任者: 言語文化教育研究学会広報・連携委員会 松井孝浩
お問い合わせ・情報掲載依頼: ezine@alce.jp
メルマガバックナンバー: https://alce.jp/mailmag.html
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