言語文化教育研究:Studies of Language and Cultural Education

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第10巻

3号(2012年度春)

ピア・ラーニングを理念に掲げた教師養成を参加者はどう体験するのか――当惑,問い直し,変容のプロセスから実践構築へ
山本晋也
概要: 本稿は,東京都内の某私立大学院での教師養成プログラム(実習)をフィールドに,実習生(大学院生)らの実習参加体験を記述,分析したものである。「ピア・ラーニング」を理念に掲げた同実習における実習生らの体験は,教師養成としていかなる意義を持っていたのか。また,その体験は「ピア・ラーニング」という教室設計の理念と,どう関わりあっていたのだろうか。以上の観点から,実習生らの記した資料,および打ち合わせ等の音声記録を分析した。その結果,実習生らは同実習を教室実践の枠組みや,教室内での自己のあり方に対する「当惑・問い直し・変容」のプロセスとして体験していることが見出された。プロセスを経て自身の教育実践の立場を明確にし,教育実践を巡る議論の場を生み出していく姿は,今後の教師養成のあり方を考える上で,大きな示唆を含むものと考える。
キーワード: 教師養成 ピア・ラーニング 当惑・問い直し・変容 場づくり 理念‐実践‐養成
エントリー: 山本晋也(2012).ピア・ラーニングを理念に掲げた教師養成を参加者はどう体験するのか―当惑,問い直し,変容のプロセスから実践構築へ『言語文化教育研究』10(3),57-76.https://alce.jp/journal/vol10.html#vol3
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2号(2011年度冬)

言語教育における,ことばと自己アイデンティティ
高橋聡
概要: 日本語教育を含め,広く言語教育は「その目標言語を教育する」実践ではなく,「ことばの獲得を通して,自己アイデンティティの更新」に関わる実践教育である。なぜなら,その「人」=自己アイデンティティとことばは相互に織り込まれ,その「人」自身から「ことば」を切り離すことはできないからである。しかし,ことばと自己アイデンティティはそもそもどのように結ばれているのだろうか,また,ことばの学びを通してもたらされる自己アイデンティティの更新とは何であろうか。そして,そのことから見えてくる,ことばと自己アイデンティティが育つ言語教育とはどのようなものであろうか。本稿は,言語教育の観点からこれらの問いを考察していくものである。
キーワード: 言語教育 自己アイデンティティ 関係性 意味 物語的自己アイデンティティ 関係性的自己アイデンティティ
エントリー: 高橋聡(2012).言語教育における,ことばと自己アイデンティティ『言語文化教育研究』10(2),37-55.https://alce.jp/journal/vol10.html#takahashi
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1号(2011年度春)

教育実習に見る授業の「計画,実践,振り返り」サイクルの再考――教育実習に参加した大学院生は実践をどう位置付けたか
山本晋也
概要: 本稿は,教育実習における授業の「計画・実践・振り返り」というサイクルを再考するものである。そのために,東京都内の某私立大学での教育実習への参与観察,及びそこに参加した実習生(大学院生)への半構造化インタビューを実施した。その結果,「私たちはこの実践で何を目指すのか」という授業の枠組みそのものの問い直しを通じて,実習生たちが実践に対する評価・価値基準を形成していくプロセスが見出された。今後,様々な教育観・言語観・学習観の渦巻く実践の場へと巣立つことになる実習生たちにとって必要なものは,他者との関わりの中で自らの目指す実践を位置付け,実践コミュニティにおける様々な合意を作り上げていく力だと筆者は考える。
キーワード: 教育実習 「計画・実践・振り返り」 実践の位置付け 価値基準の形成 関係性の再構築
エントリー: 山本晋也(2011).教育実習に見る授業の「計画,実践,振り返り」サイクルの再考―教育実習に参加した大学院生は実践をどう位置付けたか『言語文化教育研究』10(1),1-17.https://alce.jp/journal/vol10.html#yamamoto
編集委員会からのコメント: 本論文は,日本語教育実習における授業の「計画・実践・振り返り」サイクルを教育実習実施の流れと,そこに参加した教育実習生の声を分析対象に,大学院生の視点から再考したものである。特に,「計画・実践・振り返り」という軸を前面に出すことで,実践の枠組みの問い直しという主張を,説得力をもった形でデータから示すことができていると思われる。
しかしながら,教育実習クラスの後の話し合いにおいて,「テキストの意義」「学びとは何か」などの教育実践に関する根源的なテーマに関して議論が行われているものの,このような話し合いが起こる教育実習のフィールドの特異性については,論文中,具体的には考察されていない。そのため,従来の教育実習プログラムと比較検討するためには,本教育実習の枠組みについての議論が課題として残されていると思われる。
しかし,参加した大学院生の学びを大学院生の視点から記述する試みは,今後の教育実習プログラムに関する議論に大きな示唆を与えるものであり,今後の展開が期待されるものであると考えられるため,今号に採用することとした。
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「言いたいことが言える」とはどういうことか――「考えるための日本語」初級クラスにおける対話からの考察
原伸太郎
概要: 筆者は2009年秋学期,早稲田大学日本語教育研究センターで開講された「考えるための日本語」初級クラスにボランティア参加した。そこでの学習者の観察を通して,学習者が日本語で「言いたいことが言える」こととは,対話による意味の交渉を通じて自らの言葉の中に自分の「声」を探り,それを他者と共に聞き取ることであると考えるようになった。本稿ではこの観点から,教室における言葉の学習のあり方について考察した。
キーワード: 多声性 意味の交渉 教室の役割 意味の共有 関係性
エントリー: 原伸太郎(2011).「言いたいことが言える」とはどういうことか―「考えるための日本語」初級クラスにおける対話からの考察『言語文化教育研究』10(1),18-36.https://alce.jp/journal/vol10.html#hara
編集委員会からのコメント: 本稿は,「言いたいことが言える」とはどういうことかという根源的な問いを立て,初級段階における学習者の内言の言語化プロセスを分析した論文である。筆者なりの定義を打ち出している点で,また教育的視点から言語活動を捉えている点においても評価できる。結論部で提示される定義は大変興味深く,この先の研究や実践に向けた,豊かな可能性を持っている。
もっとも定義の妥当性を検討するには,議論が十分であるとは言えず,分析部分についても,方法論的な課題が残る。筆者の思い入れに考察が引きずられているような印象もうける。それでも,本稿は,とりわけ初級クラスでの実践データから意味の交渉に可能性を見出しているという点では,日本語教育の新たな可能性を感じさせるものである。筆者の定義の更新も含めて,今後の研究の発展が期待されるという面で,採用に値すると判断した。
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