大会テーマ趣旨:言語文化教育のポリティクス
本大会は,言語文化教育・学習者,教室・機関等を取り巻く,あるいはその中にある大小の力関係を,言語文化教育のポリティクスとして問いなおすことを提案します。
自律的な言語文化教育者は,自らの教育理念を探求し続ける存在です。しかし不安定な雇用形態にあっては,雇用者側の意向に従わざるを得ないかもしれません。あるいは同僚の何気ない一言が,目に見えない力となって授業実践の幅を狭めることもあるでしょう。教育理念を実現すべく,本大会はまず,言語文化教育を規定する権力構造の把握を重視します。
また1980年代末以降の国民国家論の議論は,言語文化教育が単なるスキル育成の場ではなく,人々を断絶し力の差を生み出す場でもあることを明らかにしました。現在はグローバル人材育成の文脈で,英語能力の有無が富と力の格差につながるのは当然というような言説が流布しつつあります。言語文化教育がもたらす権力関係にも,改めて注目していく必要があります。
では,これらの言語文化教育に/が関わる権力関係,さらに広い意味での力関係を解決するためには何ができるのでしょうか。新しい言語文化教育政策案,教育者同士の協働,経済的成功に収斂しないことばの教育など,すでに斬新な提言・実践が始められています。
ポリティクスの網の目を解きほぐし言語文化教育の可能性を広げることを,本大会はめざします。
大会シンポジウム:言語文化教育のポリティクス
大会シンポジウムでは,言語文化教育の教育・研究内容を規定する構造的問題に目を向け,
- 日本語教育と政策
- 英語教育と政策
- 言語教師の社会的・規範的位置付け
をテーマに,現状の問題点と乗り越えの可能性について発表と議論を行います。
発表1.庵功雄(いおり いさお)
大学における英語中心主義を生き延びるための留学生日本語教育と〈やさしい日本語〉
現在,主要大学を中心に英語による教育への圧力が高まっている。その背景には「グローバル化」や「大学ランキング」の存在がある。こうした英語中心主義の中で「留学生センター」は存立の危機に立たされている。留学生センターが英語中心教育を補完する「サバイバルジャパニーズ」教育を主要任務とするのは自らの首を絞めることにつながる。なぜなら,サバイバルジャパニーズは専門性に乏しく,専任職を置いて行う必要はないという議論になった際にポストを守れないからである。一方で,留学生センターが「学内共同利用施設」である以上,大学内の動きから超然とすることもできない。必要なのは,優れた留学生を獲得したいとする大学側の希望と,日本語教育の専門性との統一を通して「日本語教育」のポストを死守することである。本発表では,この観点からした現在構想中の新しい留学生日本語教育の枠組み(日英語デュアルトラックを含む)と,発表者が近年手がけている<やさしい日本語>の考え方の接点を紹介し,フロアとの議論に供したい。
- 発表者略歴
- 一橋大学国際教育センター教授。大阪大学文学研究科修了。博士(文学)。大阪大学文学部助手,一橋大学留学生センター講師,准教授を経て,現職。専門は,日本語教育,日本語学。主著に,『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク,2001年。共著),『新しい日本語学入門(第2版)』(スリーエーネットワーク,2012年。単著),『日本語教育,日本語学の「次の一手」』(くろしお出版,2013年。単著),『やさしい日本語』(岩波新書,2016年。単著)がある。
発表2.寺沢拓敬(てらさわ たくのり)
言語教育政策研究のあり方――英語教育政策研究を事例として
本報告では,言語教育政策研究のあり方について,理論的に論じたい。事例として,報告者の専門領域である英語教育政策を取り扱うが,日本語教育や他の言語教育にも応用可能な示唆を考える。
言語教育政策の研究は,ある種の矛盾を抱えた営みである。第一に,「政策」を取り扱うには批判的態度が要求される。なぜなら,政策は現実を善い(とされている)方向に変革する営みであり,言語教育政策研究者は意識しようがしまいが現実に何らかの形で影響せざるを得ないだからである。第二に,「研究」である以上,変革だけを目指す運動的な営みとは異なり,対話可能性が担保されている必要がある。つまり,客観性・学術性・経験的データなどに配慮することで,立場の違う論者とも対話可能なチャンネルを開いていなくてはならない。
つまり,「批判的態度と対話可能性を同時に満たす」という,容易ではない条件をクリアする必要があるのである。その意味で,従来しばしば見られた,「資料を調べて終わり」「関係者に尋ねて終わり」といった研究(批判的態度なし)や,「個別の政策に批判的コメントを投げつけて終わり」といった研究(対話可能性なし)とは一線を画さなければならない。本報告では,英語教育政策の分野で報告者や他の研究者が行ってきた研究を紹介しながら,ありえるべき言語教育政策研究について議論したい。
- 発表者略歴
- 関西学院大学社会学部助教。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員(PD),オックスフォード大学ニッサン日本問題研究所客員研究員を経て,現職。専門は,言語社会学,英語教育制度とその歴史。主著に『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社,2014年。単著。日本教育社会学会第6回学術奨励賞受賞),『「日本人と英語」の社会学』(研究社,2015年。単著)がある。
発表3.有田佳代子(ありた かよこ)
「奨学金返済ができないので夢をあきらめました」から考える日本語教育
日本語教師には,国際的な場でやりがいのある仕事をするという明るいイメージと同時に,志と能力を持つ後進の人々が意欲を持続してキャリアを積んでいくことが簡単ではないという現実もある。また,日本語教育が,往々にして諸科学の準備のための「補佐的学習」としてみなされがちであることも否定できない。そして,経費削減を理由に「外国人への日本語教育はボランティアに任せよう,日本人なら誰でもできるから」というような意識も,一般社会にはまだ存在する。そうしたことの背景に,わたしたち日本語教師のひとりひとりが,仕事上の目の前の忙しさと,そして時には楽しさにも紛らせて,「なんだこれ?」とも思いながら,結局はそれを制度変革に届くような声にしてこなかったという責任があるのではないか。またそこに,大きな声にすることを阻む,関係者内の「分断」があったのではないか。本発表では,このような問題意識を持ちつつ,日本語教師を取り巻く構造的な拘束と,それに翻弄されつつ仕事を続けていくわたしたち教師個人のありようについて考えたい。
- 発表者略歴
- 敬和学園大学人文学部特任准教授。東京およびホーチミン市の日本語学校・専門学校,敬和学園大学契約講師を経て現職。一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程単位取得退学。博士(学術)。専門は日本語教育,多文化共生論。単著は,『日本語教師の葛藤──構造的拘束性と主体的調整のありよう』(ココ出版,2016年)。共著は,五味政信・石黒圭編著『心ときめくオキテ破りの日本語教授法』(くろしお出版,2016年),石黒圭編著『日本語教師のための実践・作文指導』(くろしお出版,2014年),石黒圭編著『会話の授業をたのしくするコミュニケーションのためのクラス活動40』(スリーエーネットワーク出版,2011年)。
コーディネーター
- 牲川波都季(せがわはづき)
- 関西学院大学総合政策学部准教授。早稲田大学大学院日本語教育研究科修了,博士(日本語教育学)。早稲田大学日本語研究教育センター助手,ホープカレッジ現代古典言語学部客員助教,秋田大学国際交流センター准教授などを経て,現職。専門は,言語表現教育,日本語教育,言語ナショナリズム。主著として,『わたしを語ることばを求めて――表現することへの希望』(三省堂,2004,細川英雄との共著),『戦後日本語教育学とナショナリズム――「思考様式言説」に見る包摂と差異化の論理』(くろしお出版,2012)がある。