第3回:9月8日
小ぢんまり版:ヒューマン・ライブラリー
座談会形式なので,他の参加者と気軽に話せます。
- 日時: 2018年9月8日(土)14:00~17:00
- 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス3号館 2階 202・203教室[アクセス]
- 参加資格: 会員に限らずどなたでもご参加いただけます。
- 参加費: 無料
- お問い合わせ: interact@alce.jp(言語文化教育学会 交流委員会)
- チラシをダウンロード
ヒューマン・ライブラリーをご存知ですか?
その名のとおり,「人の図書館」です。人が「本」になり,その人の生き方や人生を語ります。「読者」は「本」を30分間借りることができ,「本」の語りを聴きます。お約束は「本」を傷つけないこと。「語り」に耳を傾け,尊重すること(受付時,同意書にサインをお願いいたします)。
今回のヒューマン・ライブラリーは,ALCEの交流委員会が初めて企画する【小ぢんまり版】ですが,『全身タイツ愛好家』『性被害サバイバー』『現役日本語教師』など,多様な「本」が「書庫」でみなさまをお待ちしています(当日,「書庫」のラインナップは変更の可能性があります)。
「本」のあらすじなどの詳細は,「本の紹介」をご覧下さい。
※予約不要です。直接会場へお越しください。受付および「本」の貸出しは14:00から開始します。読みたい「本」の貸出しを締め切る場合もありますのでお早目のご来場をお勧めいたします。
本の紹介
『言語聴覚士になったわたし』
みなさんは「言語聴覚士」って知ってますか?事故とか脳卒中で脳に損傷を負い,言葉とか記憶に障害が出る人がいます。そういう人たちに対してリハビリを行い,機能回復と代償手段の獲得を目指したりします。その他,「誤嚥性肺炎」にならないためのリハビリもします。私は37歳でこの仕事に就きました。とてもやりがいのある仕事です。私の前職は日本語教師でした。なぜ日本語教師になりたかったのか,そして,なぜ日本語教師をやめて言語聴覚士になったのか,ここにたどり着くまでの私の人生をお話します。
『5歳で世界中に友達が欲しいと野望を抱いた私について』
5歳の時に初めて外国語が目の前で話されるのを聞き,大きくなったらそのことばをしゃべってたくさん友達を作りたい!と大きな野望を抱きました。三つ子の魂百まで,今も新しい人に出会い,新しいことを知るのが私のモチベーションの源です。学生時代は日本で英語を勉強し,卒業後は海外と日本の架け橋となる仕事をしてきました。今春より大学院で国際コミュニケーションを学び始めた私についてざっくばらんにお話させていただきます。
『自分で決めた道』――日本語教師の道を方向転換した不動産ブローカー
中国で生まれ,大学2年生まで祖国で過ごしました。大学では外国学部に入学し,専攻として日本語を選び,交換留学生として杏林大学に編入しました。その後,日本語教師の道を目指し,早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程に入学しました。日本語教師を目指したのは,両親が教師だったことが影響しています。子どもの時から,学校文化の中にいました。父が勤める学校の教員寮に住み,遊ぶ場所は学校の敷地でした。父の勤める学校の学食で日々の食事は賄われていました。両親は,娘が教師の道を進むことを望んでいました。
しかし,学校の外を知らない自分に気づき,「私は教師になっていいのか? 広い社会を知らなくてはいけないのでは?」と,はたと思ったのです。とにかく修論を書き上げ,東京で就活を始めました。業種は選びませんでした。自分の語学力が活かせると思われる企業に,かたっぱしからエントリーシートを送り,その数は70を上回りました。面接までこぎつけられたのは,その半分。不採用が続き,凹みました。それでも,財閥系の大手不動産会社に採用されました。採用が決まるやいなや2ヶ月間宅地建物取引士の資格試験の猛勉強を行い,一発で合格しました。
その会社を選んだのは,大手ならしっかり社員教育をしてくれるだろうと思ったからです。しかし,その会社は3年半で辞めました。仕事内容は不動産売買。仕事内容に不足はなかったのですが,自分が任せてもらえる仕事の大きさに満足できませんでした。そして,外資系の不動産会社に転職しました。転職した企業は海外に多くの拠点を持ちグローバルなビジネス展開を目標としていて,自分の語学力を活かせる理想の職場です。
今の会社に不足はありません。だけど,順風満帆とはいきません。「トリプルで不利」。外国人,女性,若者であることで,顧客からの信頼度は低くなってしまうのです。重要な仕事は,日本人のベテラン男性に任せられます。業界では3重のマイノリティなのです。
これまで,親の期待,大学院までの自分の専門性,財閥系大手企業の安定性を選択することなく,自分で自分の道を選び,歩んできました。では,これまで選ばなかったものは,今の生き方と関わりがないのでしょうか。本を開いて,ストーリーを確かめてみてください。
『社会人にも,ホームレスにもなりきれず――計画された偶発性としての日本語教師』
大学4年生のある日,僕は川崎駅に降り立った。当時の川崎駅前にはダンボールハウスがずらりと並んでいた。就職活動もせず,ボンヤリしていた僕は,そのとき,わりとリアルに「僕も来年はダンボールハウスかな」と思った。
結局,就職活動はしなかった(というか,できなかった)。が,大学卒業後,ひょんなきっかけで,中国の上海で語学留学をすることになった。その留学先に日本語教師の方がいて,日本語教師という職業(?)があることを知った。僕は留学というモラトリアムを打ち切るきっかけを探していた。日本語教師になるというのは,帰国するために自分を納得させる口実として魅力的に思えた。で,帰国後に日本語教師養成講座に通った。つまり,特に深い思慮があったわけでもない。でも,それから今まで曲がりなりにも日本語教師を続けている。
どうして僕は日本語教師を続けているのか。それは様々な偶然の積み重ねであると同時に,日本語教育が主に社会の周縁部で行われる活動で,日本語教師がマージナルな存在だからではないかと思っている。あのとき,社会人にも,ホームレスにもなりきれず,いわば日本社会からこぼれ落ちた(ような気がした)。その感覚は今も続いている。
『性被害から見えた世界』
子供の頃から複数の性被害に遭ってきました。被害後から困難を抱え引きこもりになったことから,実名顔出しで経験の発信を始め,その後NPOや個人で9年間支援や啓発の活動を続けています。最近では性に向き合える文化をつくるという活動や若者支援,恋愛相談などもしています。
被害に遭ったことで初めて見えた世界がありました。そこから自分が変わるにつれ,見える景色が変わっていきます。絶望や理不尽さだけでなく,人の優しさや美しさもありました。実際の被害と状況,その後の困難や希望と回復。揺れや変化や葛藤とその中での選択。私から見えた世界をお話します。
#性被害 #SEX and the LIVE!! #性を語る #カテゴリーからハッシュタグへ #好きな服で生きていく #好きを語る #共存 #サバイバーであること #セカンドレイプ
『全身タイツを見て,触れて,感じて!本当の自分へ〜全身タイツは,何も制約しない〜』――全身タイツは日本発祥
20年以上の歴史を持ち,会員数が400人を超えるTOKYO ZENTAI CLUBでは,全身タイツ(ゼンタイ)の良さを知ってもらおうと,イベントに参加したり,イベントを開催したり,メディアの取材にこたえるなど普及活動をしています。最近では,海外メディアが全身タイツを「ZENTAI」と紹介し,世界的に注目を集めています。
ヒューマンライブラリーでお話すること
全身タイツを着ることによって,違う自分,本当の自分が見えてくるという話です。愛好家の中には,全身タイツを着たまま寝たり,生活する人もいます。全身タイツを着ると全身が包まれて落ち着く,「自分が他人にどう思われているか」という心配から解放されるという感想もあります。このような愛好家たちのお話のほか,全身タイツの色々な使用方法,海外での活動,全身タイツの未来のファッションとしての展望などについてもお話しします。
全身タイツと同じ生地のロング手袋を用意していますので,手ざわり,肌触りを体験して頂けたらと思います。また,希望者には全身タイツを着てもらうこともできます。
『フリーター研究生』
19歳~21歳にかけて,浪人,引きこもり,休学,フリーターと点々としました。高校生までは野球一筋でそれなりに楽しく過ごしてたのに。自分もみんなと「同じ」ことができたはずなのに,なぜたった3年のうちにみんなと楽しくおしゃべりできなくなってしまったんだろう。未だに,19歳~21歳の3年間何もやらなかったことが27歳の自分に影響しています。
『みんな,わかってくれない。。。』―― 慢性疲労症候群
読者の皆さんは「慢性疲労症候群」という病名を聞いたことがありますか?
文字通り,常に疲れている状態がずっと続く病気です。その疲れの程度は1日中起き上がれなくなったりするほど。眠っても,眠っても疲れは取れません。
2011年からその病気を発症。ある日突然起きられなくなりました。息をするのも苦しい。布団の上でご飯を食べるのもやっと。波があり,よくなったり悪くなったりします。自律神経が乱れてしまいます。治療法はない,原因も分からない,と病院では言われました。
友達とランチの約束をしたり,仕事の約束が入っても,調子が悪い時はどうにも動けなくて約束をドタキャンするしかありません。この病気は,まだ一般に知られてはおらず,なかなか周りの人に理解されません。「疲れる」と言っても,「まあこの歳だからね」と済まされてしまうことも。約束をドタキャンしなくてはならないほど症状が重くても,次に会った時に元気そうに見えると,信用してもらえなくなります。だんだん友達は離れていきます。「みんな,分かってはくれないんだなあ。。。」,と思います。
「慢性疲労症候群」は,ここ数年,地球規模で,じわじわ増えつつある病気です。そのほとんどが,「怠け者」と言われることが多い病気です。「慢性疲労症候群」を“もっと”知ってほしい。それが私の想いです。