言語文化教育研究学会:Association for Language and Cultural Education

2017年度の記録

第51回
「何のために〈多読〉実践を行うのか」
髙井かおりさん

  • チラシ 日時: 2017年5月27日(土)14:00~15:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 512教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
  • チラシをダウンロード

話題提供: 髙井かおり(明星大学)

みなさんは,「読書」や「本を読む」ということにどのようなイメージを持っていますか。私は,単純に本を読むことが好きです。本を読むことによって何かいいことがあると考えたことはありませんでしたが,本を読むことは楽しいことであり,私の身近にいる留学生のみなさんにも本を読むことを楽しんでほしいと思っていました。そんなとき,日本語「多読」を知り,私もやってみたいと思うようになりました。しかし,「多読」実践とは具体的にどのようにしたらいいのかわからず,まずは,『日本語教師のための多読授業入門』という本を読んでみました。

次に,「多読」実践を始めるには本の購入が必要だと考え,そのためには,大学に「多読」の良さをアピールする必要があるだろうと考えました。そして,良さをアピールできる何かを得られるだろうという期待と,上級レベルの学生にも向いているのかという当面の疑問を払しょくするために,NPO多言語多読の研修会に参加しました。研修会でお話をお聞きし,学習者のレベルは関係がなさそうだと思えるようになりましたし,大学では本も購入してもらうことができ,今年の4月から「多読」実践を行えることになりました。

しかし,実際にいざ実践するとなると,他にも気になることが浮かんできました。私にとって本を読むことは,個人の楽しみであり,その時間,空間や楽しみは他者と共有するものではありません。それを敢えて授業という形で,教室に学生を集めて行うことにどのような意味があるのだろうか?楽しみは人それぞれであり,私の楽しみを学生に強要してしまうことにならないだろうか?また,授業で行うということは,「教育」が目的であり,私が考える「多読」実践の目的である「本を読むことを楽しむ」は「教育」なのだろうか?

本月例会では,これらの私の気になることを「座談会」という形で,参加者のみなさんと議論したいと思います。まず,NPO多言語多読の提唱する「多読」とは何かについて紹介し,「多読」を共有したうえで,次の2点について話し合います。

  1. 「多読」実践を言語教育として行う場合の長所,および短所は何か。
  2. もし,あなたが「多読」実践を行うとしたら,どのような目的でどのように行うか

「多読」実践の経験の有無や,「多読」への興味の多少にかかわらず,いろいろな方々とともに「多読」と言語教育との関係をじっくり考えることができればと思っています。

関連文献
  • 日本語多読研究会(監),粟野真紀子,川本かず子,松田緑(編)(2012).『日本語教師のための多読授業入門』アスク出版.
  • NPO多言語多読『多読とは?』http://tadoku.org/learners/l-about

特別企画
「実践者は学習者,現場とどのように向き合うか――中国の日本語教育の現場における活動型授業の光と影」
黄均鈞さん

  • チラシ 日時: 2017年5月22日(月)18:00~20:00
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 601教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
  • チラシをダウンロード

話題提供: 黄均鈞(華中科技大学)

この場を借りて,昨年,私が遭遇した,中国の大学における日本語授業に関する「四面楚歌の経験」をシェアしていきたいと思います。

私は2016年の6月から,中国の大学で日本語教師として働き始めました。担当科目は中国の大学の日本語専攻における主幹科目――「総合日語」(精読)です。しかし,授業の引継ぎの日に,ベテラン教師が期待していた「総合日語」授業の在り方と,私の考えている「総合日語」とはあまりにも異なることが分かりました。また,授業開始1ヶ月後のある日,私のところに「黄先生へ――総合日語授業についての調査」という学生代表からの授業内容に対する抗議メールが届きました(筆者が担当した総合日語授業に関しては,黄(2017)を参照)。

実践者と学習者の教育・学習観の違い,周りの同僚たち(教師コミュニティ)による私の授業内容に対する賛否両論,そして大学側の学生による教師評価制度等。こうした背景の下で,私は悩みました。

「自分の教育理念に基づいた授業を続けていくか,学生の意見を取り入れ,彼らの期待に沿った授業をするか,それとも折衷案で行くか。」本特別企画では,まず,こうした「私」と学習者の葛藤,及び両者の変容とその要因に関し,お話します。

その上で,以下の点について,参加者の皆様と考えます。

  • 教室において,実践者の教育・学習観と学習者の教育・学習観が異なる場合,実践者はどのように学習者と向き合うか。
文献
  • 黄均钧(2017).教師が「教えない」総合日語授業における実践者と学習者の葛藤と変容『第二回「日本語教育学の理論と実践をつなぐ」国際シンポジウム(第二届“理论与实践结合的日语教育学”国际研讨会)予稿集』(pp. 32-37).http://www.jpfbj.cn/language/download/huiyishouce-ALL_2017.pdf

第50回月例会
特別企画「実践研究にテーマが必要な理由」
細川英雄さん

  • チラシ日時: 2017年4月22日(土)14:00~16:00
  • 会場: 早稲田大学早稲田キャンパス22号館8階会議室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
  • チラシをダウンロード

話題提供: 細川英雄(言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰)

日本語教育は,実践的な教育分野であるから,研究の必要はないと考えている人は多い。むしろ研究を持ち込むことで,実践が現場から離れてしまうと考えるからであろう。しかし,それでは実践は進化・成長しないだろう。

近代の言語教育において,教育実践は,理論の応用として捉えられてきた面がある。しかし,日本語教育が学習者のためにあるとすれば,この教育実践こそ,学習者とともにことばの学びを育むものでなければならない。それはたんに学習者の言語能力の向上をのみ目的とするものでない。ことばを学ぶことによって自分の考えを他者に発信し他者との共感の下で住みよい社会をつくっていくための,自己・他者・社会のあり方を問う作業でもある。

このような実践研究には,教師及び学び手の双方に何らかのテーマが必要であると考える。この場合のテーマとは,参加する個人一人一人がそのことばで表現しようとする中身のことである。このテーマによってこそ,本来のやりとりが可能になり,人と人は,ことばによって結ばれると考えられるからである。日本語教育における実践研究の意味を考えることは,学習者を育てるだけでなく,教師自身が成長し,充実した言語活動主体となるための重要な活動であることを示唆している。

本月例会では,50回を記念し,実践研究の原点に返って,教育実践において語るべきテーマの意味について考えたい。