言語文化教育研究学会:Association for Language and Cultural Education

2017年度の記録

特別企画:日本語教育討論会
“ To teach, or not to teach, that is the question.”
百済正和さん,古川嘉子さん,今井新悟さん

キーワード:文法積み上げ式,Can-do,学習者中心,Task-Based Language Teaching

  • チラシ日時: 2018年1月21日(日)13:30〜17:00
  • 会場: 早稲田大学早稲田キャンパス 11号館606教室[アクセス
  • プログラム(司会:南浦涼介〈東京学芸大学〉):
    • 第二言語教育とその教員養成においてTBLTというアプローチが示唆すること/百済正和(イギリス・カーディフ大学)
    • 日本語教師の専門性としての学びへの感受性は育成できるのか/古川嘉子(国際交流基金日本語国際センター)
    • 寺子屋式アクティブ・ラーニングへの回帰/今井新悟(筑波大学)
  • 参加方法: 申し込み不要.当日,直接会場にお越しください。
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
  • チラシをダウンロード

趣旨

何をどう教えるべきなのか,いわゆる教授法は長きに亘り,栄枯盛衰を繰り返して来た。そしてその変遷は今後も続くだろう。よりより教授法という問いは,終着点のないオープンクエスチョンであろう。そして,それは日本語の教授法という限定された範囲に収まることではなく,「教える」「学ぶ」という営為によって文化・文明を繋いできた,人類の存在方法の根幹にかかわることなのだろう。その中で,「学校,教師,教室,学習者,教科書」という設定を伴う「教育」の在り方について,登壇者らは,今,明らかな変化が訪れていることを肌で感じている。イギリスの大学で,日本の大学で,そして世界によき日本の理解者を増やすことをミッションとする機関で,それぞれが最先端,最善と(多分に勝手に)自認して,教育の最前線に立って実践を重ねている3人が,自己主張と他者批判の先にあるだろう何かを目指して,妥協なき議論に挑戦する。[司会:南浦涼介(東京学芸大学)]

百済:「第二言語教育とその教員養成においてTBLTというアプローチが示唆すること」

第二言語習得研究の影響から文法・文型中心の言語教育アプローチが批判的な評価を受ける中,機能中心の言語教育アプローチが注目され,日本語教育の現場ではCan-doによる記述が使用され始めている現状がある。登壇者(百済)は,どちらのアプローチも言語教育の目的という点では変わりなく,Can-do記述に対する日本語教師の関心がむしろ,日本語教育が何を目指すのかという議論を曖昧にする可能性があると危惧している。本パネルディスカッションでは,まずTBLT(Task-based language teaching, タスク主導の言語教育)がどのような教育的価値を土台に実践されているのかという点を明らかにしながら,そこから示唆される教員養成についても議論したいと考える。[当日の発表資料

古川:「日本語教師の専門性としての学びへの感受性は育成できるのか」

日本語教師の仕事は,「教える」現場での学ぼうという人の学びを構想し,学びのプロセスをデザインし,教育実践の中で学びをファシリテートしていくことである。学びのプロセスのデザインでは,「何を」という内容と「どうやって」という方法にかかわる選択を行う。内容のデザインは,学ぶ人がどのような背景を持ち,何を求めているかを考慮し,教育実践でどのような項目を扱うかを決める。Graves(1996)は「完全なシラバス表」として,文法,課題,スキル,話題,学習能力,コンピテンシーなどを挙げているが,21世紀の言語教育では,さらにそれが拡張していると考えられる。そして,方法の選択肢も多様である。日本語教師の専門性は,可能性の中から妥当な選択をし,有意味な教育実践を行っていくことにある。そして,その妥当性と有意味性を支えるのが,学びのプロセスに対する教師の感受性だと考える。教師教育においては,そういった専門性の育成をどのように図っていったらよいか検討したい。[当日の発表スライド

今井:「寺子屋式アクティブラーニングへの回帰」

21世紀型スキルの必要性と共鳴するかのように,日本語教育でも文法・文型の知識伝達を主とした教え方が批判されて久しい。文法積み上げ式に対するアンチテーゼが理論,実践,教材のそれぞれのレベルで提案され,徐々に現場に浸透しつつある。しかし,その動きは鈍く,日本語教育の現場で全面的なパラダイムシフトを起こすまでのうねりは感じられない。今日も世界のどこかで日本語教育の世界に足を踏み入れる若き教育者たちの多くは,知識伝達型の呪縛から逃れることができずに,色々な言い訳で己を慰めている。まるでそれが教育のオーソドックスとなっているかのごとくに。しかしながら,知識伝達型教育の歴史は思われているほど長くなく,その基盤も盤石ではない。画一化された知識伝達型マス教育の手法は,少なくとも日本においては明治以降に輸入されたものであり,それ以前は,個を尊重するアクティブラーニングが寺子屋などで行われていた。いまや,画一的教育による学びの非効率性は自明であり,教育のパラダイムシフトは世界中で起こっている。日本語教育においても,個を尊重する,学習者の,学習者による,学習者のための学びを推進すべきときではないか。そのためには,教師は自ら舞台から降り,黒子に徹する勇気を持たなくてはならない。学習者のよりよい学びを阻害しないために。[当日の発表スライド

第54回:語り合うcafé
「人の語りを聴くことからどのような責任や使命が生まれるのか」

  • チラシ:日時: 2017年12月15日(金)18:00~19:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 511教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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ライフストーリー研究やナラティブ研究など,人の語りを聴いたり,ビデオ撮影したりという方法で研究することにより,研究者にはどのような責任や使命が生まれるのでしょうか。

今回の月例会では,人の研究の具体的な事例紹介を交えながら,場全体で自由に意見交換をします。人の研究をする者たちは,協力者を通して耳と目で得た情報を,どのような目的で,誰に,どのように還元するべきなのでしょうか。参加者同士で考えながら語り合いましょう。参加者の方々からも,ぜひご自身の事例についてお話しいただきたいと思います。

これまでに人をめぐって研究をしてきた方,これからそのような研究をしようとしている方,人の研究に興味のある方,どなたでも参加できます。研究分野の枠を超えて,お茶を飲みながらリラックスした空間で,café感覚で交流する場にしたいと思います。

特別企画
「教師の「私」が今の実践に辿り着くまで――私を変えたエピソード」
岩瀬直樹さん,神吉宇⼀さん

  • チラシ:日時: 2017年10月27日18:00~19:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 8階会議室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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対談: 岩瀬直樹⽒(東京学芸⼤学教職⼤学院准教授)神吉宇⼀⽒(武蔵野⼤学⼤学院准教授)

本企画では,リフレクティブな視点からの教師の成⻑について,岩瀬直樹⽒の実践を通じて考えます。

岩瀬⽒は約20年間,埼⽟県の公⽴⼩学校で,⼦どものリテラシーを伸ばす教育実践を中⼼に様々な実践を⾏ってきました。その後,⼤学で教員養成に携わっています。また岩瀬⽒は,12⽉の本会の研究集会の登壇者の苫野⼀徳⽒と教育理念を共有し,軽井沢⾵越学園を設⽴する発起⼈の1⼈でもあります。岩瀬⽒を軽井沢⾵越学園というまったく新しい「学校」の創設に駆り⽴てるものは何なのか。「公教育」や「学校」の「当たり前」を問う視点はどこから⽣まれたのか。岩瀬⽒いわく,⾃分⾃⾝の実践の「当たり前」を,⾃⼰批判として問い直す視点が,新しい実践の起動⼒となり得たとのこと。本企画はその岩瀬⽒の,ともすれば「痛い」⾃⼰批判につながる実践の「振り返り」を,具体的なエピソードを中⼼に⽇本語教育の分野で活動する神吉⽒が聞きます。

神吉⽒と岩瀬⽒は⼤学時代の同級⽣,悪友・親友として,けなしあったり認め合ったりしながらそれぞれの分野で教育実践を続けてきました。⼩学校教員を経て⽇本語教育の世界に⼊った神吉⽒ならではの視点で,岩瀬⽒の実践を⽇本語教育の⽂脈におろして考えます。⽇本語教育や⾔語教育を実践するわれわれにとっての「当たり前」とは何だろうか?⽇本語教師の「私」の現場では,相変わらず知識やスキルの積み上げを⽬標としがちになっていないだろうか?神吉⽒が聞き⼿となり,岩瀬⽒の実践を変えたエピソードを引き出すことにより,岩瀬⽒の教育⼀般の問題提起を⽇本語教育の⽂脈における議論に発展させます。

本企画の⽬指すゴールは,本会の終わりに,参加者が⾃らの中にある,⾃分にとっての「当たり前」を問い直し,⾃分の中にある,「もやもや」や「違和感」を意識化し,それをすっきりさせることなくそのまま⾃分の「問い」として持ち帰ることです。対談の終わりには参加者が⾃由に⾃分の実践について語る時間も設けます。

カタルシスなき「もやもや」を,明⽇からの「私」の実践に持ち込むこと。それが,参加者が⾃らの「問い」を考え続け,教室・学びの場をダイナミックに変⾰することにつながることを願って,この対談を企画しました。

ラーニングバー形式,お好きなお飲み物,おつまみ,ご持参歓迎です。会場でも飲み物,おつまみを用意してお待ち致します。もちろん手ぶらでも大丈夫です。

第53回
「〈台湾・香港・韓国人日本語学習者数は800万人規模〉からの,〈やさしい日本語ツーリズム〉――マーケティングの視点から見た日本語教育」
吉開章さん

  • チラシ 日時: 2017年7月22日(土)14:00~15:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 512教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 吉開章(株式会社電通・やさしい日本語ツーリズム研究会事務局長)

2016年,国際交流基金と電通が発表した「台湾・香港・韓国の日本語学習者数は合計800万人規模」という共同調査結果。これをどう捉えていいか戸惑っている日本語教育関係者は多いのではないでしょうか。そしてこれを発表した「やさしい日本語ツーリズム研究会」とは…。

一連を仕掛けた「中の人」の吉開章さんは,デジタルマーケティングのプロである一方,Facebook上で2万人を超える日本語学習者を日本語教師のチームでサポートする「The 日本語 Learning Community」を主宰・運営しています。教室で教えたことも教案も書いたこともない吉開氏が,今「マーケティング」という視点から様々なことを日本語教育に提示しようとしています。

本月例会では,まず,吉開さんに基金・電通共同調査の読み方を中心に話していただきます。その後,調査に関する質疑応答や意見交換を行います。(事務局)

特別企画
「『社会につながる自己表現』とは何か――タイの大学で行った日本語エッセイクラスにおける実践を事例として」
江崎正さん

  • チラシ:日時: 2017年7月21日18:00~20:00
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 202教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 江崎正(タイ・カセサート大学教養学部日本語科講師)

どこの国でも,社会や政治の状況がその国の教育にも反映されているということはよく耳にする。タイの場合,社会を表す際に「階層社会」や「格差社会」という言葉がよく使われる。例として貧富の格差,都市(バンコク)と田舎の格差が挙げられる。政治においては2006年のクーデター以降,現在に至るまで混乱の様相を見せている。さらに2014年のクーデターにより,軍事政権に対して公然と反対を表明することはできなくなっている。特にマスメディアでは「表現の自由」が制限されている。そしてタイの教育に目を向けると「勉強とは先生の言ったことを,できるだけたくさん暗記して,どれだけ暗記したかを問うテストが多い。タイの勉強とは一種の暗記競争のようだ。だから論理的,批判的に考えるスキルが弱い」という話を他の教師からよく耳にする。そこからは学習者が自分で考え,自分で言葉を選び取り,自分の言葉で表現することは,あまり重要視されてはいないようである。そのような社会や政治状況を背景に,初等,中等教育を経てきた学習者にわたしは大学の外国語コースで出会うことになる。

そして日本語を学んでいる学習者を前にして学習者の将来像を考えることがよくある。学習者の大学卒業後に待ち受けている世界とは,どのようなものであるか。その世界とは1つの国に留まるのではなく,国境線をいつくも乗り越えていくグローバルな世界であり,多種多様な背景を持った人々に出会う世界である。お互いに違うものを持っている者同士が,その違いに気づき平和に暮らしていくためには,お互いに違いを言葉で表現し,理解し合うことが大切になると思われる。つまり自分で考え,語彙や文法を自分で選び取り,自分の言葉を紡いでいくことが必要になってくる。

以上のような2つの大きな要素(1.学習者が育ってきたタイの社会や政治状況と教育環境,2.近い将来,学習者に待ち受けている世界)を考えた上で,タイの学習者にとって,「ことばを使って表現する」とは何を意味するのか,その大きな問いかけがこの試みのスタート地点になっている。

本企画では,わたしがタイの大学で行ったエッセイクラスにおける実践を事例として,「社会につながる自己表現」とは何かを考える。このエッセイクラスは,タイの教育事情と学習者に揺さぶりをかけること,そして「表現する場」を作り出すこと,具体的には,学習者の「何?どうして?」と「表現したい(伝えたい)」という気持ちを引き出すことを目的に行われた。議論の素材として,この実践の背景にあるもの,ねらい,手順,学習者達の変化,問題点について話す。本実践では,前期に「自分語り(自分のことを説明する)」から始まり,意見と理由を論理的に書く,それに付け加え,書くことを通じて他者(今回は日本語母語話者)と出会うEメール文通を行った。そして後期にはタイの大学生が苦手といわれている「批判的に考えて,それを表現すること」を主なテーマにした。「北風と太陽」という1つの話を自分の日常生活の中から,北風が意味するもの,太陽が意味するもの,旅人が意味するものを考え,自分バージョンの「北風と太陽」を作った。そのあと,問題発見を目標にして「タイのごみの問題と解決策」「カセサート大学の問題点と解決策」「タイの教育の格差を少なくするために自分ができること・国ができること」をトピックとして,書き手の日常生活の中から見慣れている物を,注意深く見て,問題点を見つけること(批判的に考えることと,解決のために自分は何ができるのか)を行い,それを書く行為で表現した。その他,1行詩を創作する活動では,私達の毎日の生活で使っているユーモア,皮肉,比喩を使って遊び心満載に私達の日常を1行詩で表現した。このようにエッセイクラス活動全体が学習者にとっての「社会につながる自己表現」になっていったように感じられた。

実践を通してわたしにとっての「社会につながる自己表現」とは,「他者への働きかけ」であり「他者理解への鍵」ではないかと思っている。そして4技能すべてを使う,身近なところから考える,注意深く物事を見る,他者の意見を知り,その違いに気づく,意見を共有する,人間関係の緊張を緩和させるためにユーモアを使う,直接性を避けるために比喩を使うなど,多様なものが「社会につながる自己表現」を支えているのではないかと気づいた。「ことば」と「私達の人生」と「私達が暮らしている社会」がつながっている言語教育とは,言語スキルの上達だけを目的にするのではなく,この自己表現を支えるものに数多く出会える場を用意すること,そして学習者にそれらを体験してもらい,そこから出てくるもの(他者理解であったり,気づきから自ら行動を起こすことであったり)が重要になるのではないかと考えている。やがてそれらが共生や平和へとつながっていくのではないか,と感じている。

ディスカッションしたいポイント
  1. それぞれ教えている環境が違う中で,言語教育において,学習者から様々な「気づき」や「表現したいという欲求」を学習者から引き出すことについて,どのような試みがされていますか。なぜそのような試みが必要なのですか。「気づき」や「表現する場を作ること」について,どのように考えていますか。どの程度,教師が自覚的になっていますか。
  2. タイで教える際には,タイの社会事情から「表現する場」を作ることは,とても切実な問題として存在します。日本で教える際にも,「表現する場」がどれほど切実な問題としてありますか。
  3. エッセイクラスでの試みは「ことば」と「私達の人生」と「私達が暮らしている社会」がつながっていることから,出てきた試みの1つです。これらの3つの関係性について,どのくらい意識されていますか。
  4. これら3つのつながりを邪魔しているものは,言語教育の中で何だと感じていますか。
  5. 1.~4.の議論を踏まえ,「社会につながる自己表現」とはどのような表現だと思いますか。また,言語教育において「社会につながる自己表現」とはどのように実現されると思いますか。

第52回
「汎ヨーロッパレベルで,いま何が言語教育研究の課題となっているのか――欧州現代語センター(ECML/CELV)滞在報告」
山本冴里さん

  • チラシ 日時: 2017年6月23日(金)18:00~19:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 512教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 山本冴里(山口大学)

私は2017年3月の下旬から4月はじめにかけて欧州現代語センター(European centre for modern languages/ Centre Européen pour les langues vivantes)に滞在する機会を得ました。これは,CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)」など日本でも波及力を持つ言語教育の枠組みをつくった欧州評議会の下位組織です。

欧州評議会では,言語教育政策を練るのは,言語政策局という部局です。それに対して欧州現代語センター(ECML/CELV)は――プログラム統括責任者であるSusanna Slovensky女史の言葉を借りれば,「研究や理念,政策と教育現場の実践をつなぐこと」を使命としています。

CEFRとおなじく,欧州評議会の提案した文書のなかに,『ヨーロッパ言語教育政策策定ガイド』があります。日本語版は2016年5月に拙訳で出版されていますが,私は,これを訳していく過程で,幾度も,「現実は今どのようであり,どのように変えていこうとされているのか」ということを知りたく思いました。たとえば6章10節では「あらゆる言語教育の間での協調と効果的な連携」が重要視されているのですが,では,その具体的な方策はどのようにして考えられ,どのように伝えられていくのか,といったことを間近で見てみたくなったのです。

欧州現代語センターに打診してみたところ快諾をいただき,滞在中は,許される範囲で,センターで次々に開催される専門家の打ち合わせや,教師養成のワークショップづくりに陪席しました。また,専門職員の方にインタビューを行いました。

月例会では,

  1. 欧州現代語センターとは
  2. そのプロジェクトテーマは何で,どのように決められるのか
  3. プロジェクト例の紹介――言語・文化の多元的アプローチのための参照枠(CARAP/FREPA)の場合

の順で,滞在中に学んだ事柄について報告します。そのうえで,

  1. 会場の皆さんと一緒に,〈北東アジアで,できること〉

を考えていきたいと思います。

北東アジアには,欧州評議会に相当する超国家組織はありません。欧州現代語センターに相当する,(各国家ごとではなく)アジアでの言語教育をより民主的なかたちで充実させていこうとする機関も,そうした方向に導こうとする政策的なイニシアティブも不在です。けれど,もしかしたらだからこそ,言語教育を生きる私たち教師,教育研究者の活動が――きわめて限定された文脈であっても――時には決定的な意味を持つのかもしれない,と思います。日,英,韓,中,独,仏,そのほか何語の教育に関わる方も,またどのような立場で関わる方(関わろうとする方)も,歓迎します。

関連文献

第51回
「何のために〈多読〉実践を行うのか」
髙井かおりさん

  • チラシ 日時: 2017年5月27日(土)14:00~15:45
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 512教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 髙井かおり(明星大学)

みなさんは,「読書」や「本を読む」ということにどのようなイメージを持っていますか。私は,単純に本を読むことが好きです。本を読むことによって何かいいことがあると考えたことはありませんでしたが,本を読むことは楽しいことであり,私の身近にいる留学生のみなさんにも本を読むことを楽しんでほしいと思っていました。そんなとき,日本語「多読」を知り,私もやってみたいと思うようになりました。しかし,「多読」実践とは具体的にどのようにしたらいいのかわからず,まずは,『日本語教師のための多読授業入門』という本を読んでみました。

次に,「多読」実践を始めるには本の購入が必要だと考え,そのためには,大学に「多読」の良さをアピールする必要があるだろうと考えました。そして,良さをアピールできる何かを得られるだろうという期待と,上級レベルの学生にも向いているのかという当面の疑問を払しょくするために,NPO多言語多読の研修会に参加しました。研修会でお話をお聞きし,学習者のレベルは関係がなさそうだと思えるようになりましたし,大学では本も購入してもらうことができ,今年の4月から「多読」実践を行えることになりました。

しかし,実際にいざ実践するとなると,他にも気になることが浮かんできました。私にとって本を読むことは,個人の楽しみであり,その時間,空間や楽しみは他者と共有するものではありません。それを敢えて授業という形で,教室に学生を集めて行うことにどのような意味があるのだろうか?楽しみは人それぞれであり,私の楽しみを学生に強要してしまうことにならないだろうか?また,授業で行うということは,「教育」が目的であり,私が考える「多読」実践の目的である「本を読むことを楽しむ」は「教育」なのだろうか?

本月例会では,これらの私の気になることを「座談会」という形で,参加者のみなさんと議論したいと思います。まず,NPO多言語多読の提唱する「多読」とは何かについて紹介し,「多読」を共有したうえで,次の2点について話し合います。

  1. 「多読」実践を言語教育として行う場合の長所,および短所は何か。
  2. もし,あなたが「多読」実践を行うとしたら,どのような目的でどのように行うか

「多読」実践の経験の有無や,「多読」への興味の多少にかかわらず,いろいろな方々とともに「多読」と言語教育との関係をじっくり考えることができればと思っています。

関連文献
  • 日本語多読研究会(監),粟野真紀子,川本かず子,松田緑(編)(2012).『日本語教師のための多読授業入門』アスク出版.
  • NPO多言語多読『多読とは?』http://tadoku.org/learners/l-about

特別企画
「実践者は学習者,現場とどのように向き合うか――中国の日本語教育の現場における活動型授業の光と影」
黄均鈞さん

  • チラシ 日時: 2017年5月22日(月)18:00~20:00
  • 会場: 早稲田大学 早稲田キャンパス 22号館 601教室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 黄均鈞(華中科技大学)

この場を借りて,昨年,私が遭遇した,中国の大学における日本語授業に関する「四面楚歌の経験」をシェアしていきたいと思います。

私は2016年の6月から,中国の大学で日本語教師として働き始めました。担当科目は中国の大学の日本語専攻における主幹科目――「総合日語」(精読)です。しかし,授業の引継ぎの日に,ベテラン教師が期待していた「総合日語」授業の在り方と,私の考えている「総合日語」とはあまりにも異なることが分かりました。また,授業開始1ヶ月後のある日,私のところに「黄先生へ――総合日語授業についての調査」という学生代表からの授業内容に対する抗議メールが届きました(筆者が担当した総合日語授業に関しては,黄(2017)を参照)。

実践者と学習者の教育・学習観の違い,周りの同僚たち(教師コミュニティ)による私の授業内容に対する賛否両論,そして大学側の学生による教師評価制度等。こうした背景の下で,私は悩みました。

「自分の教育理念に基づいた授業を続けていくか,学生の意見を取り入れ,彼らの期待に沿った授業をするか,それとも折衷案で行くか。」本特別企画では,まず,こうした「私」と学習者の葛藤,及び両者の変容とその要因に関し,お話します。

その上で,以下の点について,参加者の皆様と考えます。

  • 教室において,実践者の教育・学習観と学習者の教育・学習観が異なる場合,実践者はどのように学習者と向き合うか。
文献
  • 黄均钧(2017).教師が「教えない」総合日語授業における実践者と学習者の葛藤と変容『第二回「日本語教育学の理論と実践をつなぐ」国際シンポジウム(第二届“理论与实践结合的日语教育学”国际研讨会)予稿集』(pp. 32-37).http://www.jpfbj.cn/language/download/huiyishouce-ALL_2017.pdf

第50回月例会
特別企画「実践研究にテーマが必要な理由」
細川英雄さん

  • チラシ日時: 2017年4月22日(土)14:00~16:00
  • 会場: 早稲田大学早稲田キャンパス22号館8階会議室[アクセス
  • 参加費: 無料
  • 予約: 不要(当日,直接会場にお越しください)
  • お問い合わせ: monthly@alce.jp(月例会委員会事務局)
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話題提供: 細川英雄(言語文化教育研究所八ヶ岳アカデメイア主宰)

日本語教育は,実践的な教育分野であるから,研究の必要はないと考えている人は多い。むしろ研究を持ち込むことで,実践が現場から離れてしまうと考えるからであろう。しかし,それでは実践は進化・成長しないだろう。

近代の言語教育において,教育実践は,理論の応用として捉えられてきた面がある。しかし,日本語教育が学習者のためにあるとすれば,この教育実践こそ,学習者とともにことばの学びを育むものでなければならない。それはたんに学習者の言語能力の向上をのみ目的とするものでない。ことばを学ぶことによって自分の考えを他者に発信し他者との共感の下で住みよい社会をつくっていくための,自己・他者・社会のあり方を問う作業でもある。

このような実践研究には,教師及び学び手の双方に何らかのテーマが必要であると考える。この場合のテーマとは,参加する個人一人一人がそのことばで表現しようとする中身のことである。このテーマによってこそ,本来のやりとりが可能になり,人と人は,ことばによって結ばれると考えられるからである。日本語教育における実践研究の意味を考えることは,学習者を育てるだけでなく,教師自身が成長し,充実した言語活動主体となるための重要な活動であることを示唆している。

本月例会では,50回を記念し,実践研究の原点に返って,教育実践において語るべきテーマの意味について考えたい。